井上雄彦を語る④『バガボンド』

みのくまと申します。

 

井上雄彦を語る①〜③で『スラムダンク』を語ってみた。

論旨としては、井上雄彦が描きたいものというのは「理想のスポーツ選手」であるということ。そして、『スラムダンク』においてその「理想」は流川楓であるということを書いた。

では、井上が想う「理想のスポーツ選手」とは具体的にどのような能力やメンタリティを備えた人物なのか。

前述した流川に当てはめると、それは「(究極的には)1対1」で勝ち「日本一の高校生」になるという目的が明確である、ということだ。

そして、ぼくの考えではまだ連載中の作品『バガボンド』においても、この井上の想い描く「理想のスポーツ選手」を見出すことができる。

 

バガボンド』において、「理想のスポーツ選手」とは言うまでもなく主人公である宮本武蔵のことに他ならない。武蔵を「スポーツ選手」と捉えていいか少し違和感があるかもしれないが、井上の描く武蔵はやはり「スポーツ選手」なのである。

 

宮本武蔵はストイックなほど「剣」に生きる素浪人である。当初は「おれは強い」と連呼し、「天下無双」という野望を持って吉岡道場や宝蔵院、柳生家、宍戸梅軒など天下に勇名轟く敵たちを撃破していく(負けたこともあるが、作中武蔵は絶対に負けを認めない)。

これは、明らかに武蔵の目的(=天下無双)と流川の目的(=日本一の高校生)や赤木の目的(=全国制覇)は類似している。そして、武蔵は決して徒党を組まない(=1対1に固執する)ところも流川にそっくりだ。(赤木は途中で挫折。)

つまり、明らかに井上は武蔵に「理想のスポーツ選手」像を重ね合わせているといってよい。

しかし『バガボンド』の面白いのは、武蔵の「天下無双のその後」が描かれていることだ。

吉岡一門70人を一人で斬り殺した武蔵は、名実ともに世間から「天下無双」と認知される。(もちろん佐々木小次郎などまだ闘っていない者もいるが、世間で「天下無双」と認知されているのは確か。)

つまり、井上作品で初めて「目的」を達成した後が描かれることになるのだ。

 

武蔵は吉岡一門との闘いで片足に大怪我を負う。その際に周囲の人間(板倉勝重や沢庵など)に、闘うことをそろそろ辞めたらどうかと言われる。

しかし、武蔵は結局また闘いの日々に身を投じる。なぜか。

武蔵は思う。天下無双を目的とした闘いの日々は「楽しかった」と。

 

そう、武蔵にとっては、天下無双までの過程(=手段)こそが生きがいだったのだ。

ここで武蔵の目的(=天下無双)は融解する。

ここで注目すべきは、天下無双に「なった」から目的が融解した訳ではないということだ。天下無双までの過程こそが実は「目的」だったのだ。(目的=手段)

 

私見では、この時点で『バガボンド』の物語は終了している。

しかし、まだ連載は続いている。井上は伏線を回収する気があるかはわからないが、もし佐々木小次郎と武蔵が闘わない結果だとしても、井上本人としては本作品は描ききったのだろうと思う。

 

次回は『リアル』について書いてみようと思う。この作品は、『スラムダンク』と『バガボンド』の中間に位置する作品であるので非常に興味深い。「理想のスポーツ選手」ももちろん描かれはするが、むしろそれが特異点になっているのだ。

そのあたりを上手く書ければいいなぁ。